10月16日父が天国に旅立ちました。83歳になったばかりでした。開院時より誰よりもクリニックの事を案じ、応援してくれていた父でした。
私が小さい頃、父は優しく穏やかな性格で、叱られた記憶はほとんどありませんでした。読書家で、休日は図書館で大量に借りた本をずっと読んでいる姿を良く覚えていますが、外でキャッチボールをしたりして遊んだ事はほとんどありません。学生時代は父の単身赴任や、私の進学のため、別々に生活していた期間が多くなかなか深い関わりがもてませんでしたが、私が社会人になり、一緒にお酒を飲む機会が増えてからは会話が増え、その頃から父の存在の大きさを感じるようになりました。退職後は趣味の読書、音楽、インターネット、英会話などを楽しみ、時には東日本大震災のボランティア活動に出かけたりと活動家の父でした。
5年前の開院時には内覧会に駆けつけてくれました。実は当時、新規事業の事で頭が一杯だった私と、年を重ね口うるさく頑固な性格になっていた父とは度々言い合いになる事がありましたが、いつも良き理解者でもありました。
父は、誰もが避ける事のできない「死」について、以前から良く考える人でした。父はキリスト教徒であり、キリスト教においては、信仰を持つ者のみが神の元で安らかに過ごす事ができると捉えられています。父が亡くなる1年前にたまたま私のクリニックで行った検査をきっかけに父の病気が見つかりましたが、父は死に対する恐怖を口にする事はありませんでした。それはキリスト教の教えに基づいていたのだと思います。父は自分が亡くなったら自分の体を献体したいと言っていました。献体とは、生前、本人自らが希望の上、家族や親戚の同意のもと、死後自分の遺体を医学生・歯学生をはじめ全ての医療従事者の教育と研究を目的とした「解剖実習」のための教材として大学へ無償で提供することです。医学生の頃、解剖実習を経験している私にとっては素晴らしい考えだと思いました。父の病気はあまり予後の良い疾患ではなく最悪のケースを想定していた私ですが、思っていたよりも進行は緩徐であり、家族や孫との時間を大切に過ごさせる事ができました。しかし今年の夏頃より体重減少、食欲低下などがひどくなってきました。献体の意志はあるものの、実際に死後どのような流れで遺体が引き渡されるのか等、イメージできないままでいた私ですが、9月に入り父の病状が悪化し、そう長くはないと悟った私は、献体の手続き(事前に協力団体への登録が必要)を早急に進めなければ一生後悔すると考え、登録を大至急で進め、何とか献体の手筈が整いました。それからは10月2日病院に入院となってしまい、2週後の10月16日私と母が見守る中、息を引き取りました。83歳でした。その後、短い最後のお別れの時間を過ごした後、遺体は大学に移っていきました。次々と事が進んだため、もうお別れだという実感がないまま父は旅立ちましたが、献体の希望を叶えてあげられて本当に満足しています。
キリスト教徒としての死生観を持ち、早い段階より終活を行い、世のため人のために生きた83年であったと思います。これからは天国で私達を見守っていてくれると思います。
写真は父が大好きであったゴッホの絵画です。
病室に飾って眺めていたそうですが、この度クリニックに飾る事にしました。
2024-10-31 22:14:00
院長ブログ